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[クラファン挑戦中 その1]スクウェアから始まったゲーム業界人生

  • 執筆者の写真: 株式会社WINxVAL
    株式会社WINxVAL
  • 7 時間前
  • 読了時間: 8分

 株式会社WINxVALは、2026年3月17日(火)より「CAMPFIRE」にてプロジェクトを公開し、クラウドファンディングを開始いたしました。 ※ 写真はAI生成ではないです。私、菱沼とお子様たちとで行ったプレ塾の光景です。



 挑戦する内容は、ゲーム制作を通して子どもたちの「考える」力を育てる塾を、仙台でつくりたい!というものです。ゲームの作り方そのものを教える塾ではありません。それはすでに世の中に多くありますし、ゲーム制作ができるツールもたくさんあるので、ゲームを作りたい人や作るのが好きな人は、どんどん作ったらいいと思います。私たちがやりたいのは「教えない塾」で、やりたいことを一緒に「考える」場所です。

 少しでもご興味ありましたら、ご一読ください。  ▼ クラウドファンディングページ


 私は今もなおゲーム制作に従事しているのですが、初めてゲーム会社に入ったのは1997年と大昔なので、業界歴は今年で29年目です。ははーん、ゲーム作りに飽きたのか?引退か?と思われるかもしれませんが、いえいえ、ゲーム制作は今でも面白く楽しいです。(多少の苦しさはさておきw)やってもやってもやりきることはない、深い世界です。弊社は今もありがたいことに大きなゲームタイトルに関わらせていただいており、少し先のリリースに向けてがんばっているところです。


 では、なぜ塾を始めたいと思ったのか? あ、興味ない? ま、ま、そうでしょう。というわけで、少しでもご興味を持っていただけるよう、私が30年近く前にゲーム業界に入ってから今に至るまでの経緯を書いてみようと思います。



 まず私が就職を考えたのは大学生の時で、理系の学部に在籍しておりました。ただ、父親が理系卒だったことと、「理系のほうが就職に強い」という理由だけで籍を置いていたため、何のビジョンもない状態でもありました。そのせいか授業で学んでいる内容にあまり興味が持てず、サークルに入って油絵ばかり描いていました。油絵といっても、キャンバスではなく安い板にオイルバー(油絵具のクレヨンのような画材)で描きなぐる、完全自己流のものばかりです。ただ、完成すると人に見せたくなるので、サークルで場所を借りて展覧会を定期的に行っていたら、徐々にお客さんが増えてきました。これがとても楽しくて、私の中でのエンターテイメント路線の始まりだったと思います。


 その後、自分は何がしたいのだろうと考えるようになり、理系+エンターテイメント=?=!=TVゲーム!!そうだ、ゲーム業界を目指そう!と安易に決めました。TVゲームは好きだったのですが、まあまあひねくれたゲーム歴で、小学生のころファミコンを買ってもらえず(親が何かの景品でもらってきた)スーパーカセットビジョンで遊び、お金持ちの子の家にPCゲームをやりたくて居座り続けたり、スーパーファミコン全盛のころはバイトで得たお金でPCエンジンCD-ROMにハマったりと、後に同世代でも過去を共有しにくい流れでゲーム愛が育まれていきました。


 それでも名作タイトルは押さえるようになっていて(ドラクエは3の時にファミコンが間に合いました)、ゲーム業界を目指そうと思う直前くらいでファイナルファンタジーVIIの宣伝を目にしました。それは発売のCMではなく、開発始動を伝えるだけのCMだったのですが、当時とても衝撃的で、今も鮮明に記憶に残っています。世代的にドラクエ派だったのでファイナルファンタジーはやったことがなかったのですが、開発していたスクウェアはクロノ・トリガーという超名作も出していましたし、その前には個人的に超絶ハマっていたロマサガ2を出した会社なので興味がわきました。そしてちょうど就職活動の時期に募集広告も出ていたので、無心でプランナー募集を受けたところ、入れていただくことができました。(面接してくださった物腰の低い方が、まさか大好きなロマサガを作られている方だと知らず、あとで大いにひっくり返りました)



 当時のスクウェアは大卒新人を取り始めたばかりだったようで、今のように新人研修やOJT(職場内訓練)といった制度はなく、プランナーといえどゲーム制作の素人であってもスクリプト(簡易プログラム)を扱えなければならず、そのやり方を誰も教えてくれないので、先輩方のソースや実際に動いているものを見て理解していくしかない、というステキ環境でした。それを使って遊びを作り、キャラを動かし、カメラを設定し…と大変なのですが、その少し前の先輩に泣きつけば「その上でモーションも自分たちは作っていた」、さらに前の先輩にすがると「取説まで自分らで作っていたなー」といった話になり、苦労自慢が膨れ上がり=今の環境は恵まれている、という流れになってしまうので、なかなか相談もできませんでした。


 でも、これはチャンスでもありました。つい最近までゲーム制作をやったことのない素人が、誰もが知っている有名タイトルの一部に関わり、腕を振るうことができる。しかも当時は、ゲームのメインではない箇所(脇道)であれば、より自分で考えたことをそのまま実装できたので、割り切っていろいろやってやろうと振り切ることができました。(FF8で、なぜか場末にいる釣り具を持ったじいさんが延々と絡んでくる謎の仕掛けやイベントがありますが、それを勝手に入れたのは私です。当時一瞬だけ「釣りじいさん」というあだ名がつきました。いつの間にかムービーにも取り込まれていました)


 そういう熱意が出てくると不思議な流れもできてきて、上の人が面白がってくれて(バグも多かったので、時にしこたま怒られましたが)担当する仕事も増えてきました。当時のクリエイターは皆どこかがおかしかった気もしますが(怒号が飛び交うなんでざらです)、ゲームに対する熱量はとんでもなく高く、今でもその影響を受け続けている気がします。当然、新人のうちは許されていた緩みは次のタイトルでは許されなくなり、商品やユーザーに対する責任を学ぶようになります。学ぶほどにうまくいかないことも増えますが、うまくいったときの感動は一生忘れないものになります。未だに関わったタイトルを褒めていただくことがあり(特にFFXとKHは多く、FFXは制作中に「これ、もしかしてとんでもないものを作っているのでは?」と感じた初めての作品でした)、その影響力の強さは今でも実感します。



 話が全然、塾とつながらないじゃない?と思われるかもしれません。あ、大学時代のバイト先は塾でした。小学生に教えるのは結構評判で…って、そういう話じゃないですよね。いえ、もうつながっています。準備もスキルもなかった素人同然だった私が、ゲーム制作に飛び込むことで30年近く仕事として続けてこられているのです。なので、「ゲームデザイナーになるにはどうすればいいですか?」とよく聞かれるのですが、プログラムを覚えるとか、絵を描けるようにするといった手段にこだわるよりも、まずやってみたらいいと思うのです。

 ですが、単に「やってみたらいい」「作ってみたらいい」と言われても、何をどうしていいかわからないのにできるわけがない、と思われる方も多いと思います。だからこそ私たちがクラウドファンディングで提示している塾があれば、自然と「考える」ことに組み込まれるので、挑戦の最初の一歩が踏み出しやすくなるのではないかと思いました。それぞれが作りたいゲームは無限にありますし、売れるかどうかなんてわかりません。でも、作るからには思ったとおりに作りたいでしょうし、売れるなら売りたいでしょう。それを教えることはできません。でも、それを目指すためのヒントなら一緒に考えられると思っています。


 加えて、本当に塾を作りたい理由や塾でやりたいことの目的は、ゲーム制作にとどまるものではありません。ゲーム制作に興味がなくても、「ゲームの面白さはどうやって作られるのか?」に興味がある人は多いと思いますし、普段触れない流れに触れることで、他のことを考える時のヒントにもなると考えています。ゲームの「面白さ」も、私たちは教えることはできません。もし知っていたら、とっくに売れるゲームを作ってお金持ちです。(面白いと売れるは違うので、そう簡単にはいかないと思いますけど)



 ただし「面白い」に考えが向きやすくなる思案などゲーム制作における工夫は、日常での考え方の工夫にもつながることが多いと感じています。そしてそれを腑に落とすには、ゲームに当てはめるととても分かりやすいのです。これらの考えにつながったのは、任天堂に転職した後です。遊びや仕掛けを言語化して試作する機会が多かったからです。スクウェア時代にも同様のことはありましたが、当時あまり共有される文化がなく、個人伝承のようなものでした。認識や考え方を共有することは、目指す力を強くしていきます。


 なので、この話は次回させていただきます。クラウドファンディング期間中にアップします。また告知しますので、ご興味ありましたらご一読ください。それと、クラウドファンディングは何度も宣伝しろと、運営にもAIにも言われているので、再度宣伝を。


  ▼ クラウドファンディングページ


 少しでもご協力やご周知いただけましたら幸いです。ぜひ一緒に、やったことのないことに挑戦していきましょう。何卒よろしくお願いいたします。

 
 
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